2019年近藤会長のバースデーパーティーにて

近藤 昌平 さま

1961年、父の死去により、愛知県立一宮高等学校卒業と同時に家業の和菓子屋、萬寿堂を継ぐ。1966年に日本初の宅配ケーキシステムを実現し、東海エリアにて会員数2万4千人の組織に成長させ、東京六本木に進出。日本初の無店舗商法という新たなビジネスモデルを構築し、完全受注経営の焼き菓子専門店を行った。

看板商品のケーキの名称はファンシー。四角いスポンジケーキで生クリームを包んだ座布団型の四角いケーキで、1日2万個販売されていた。名称こそバラバラだが、中部地方のケーキ屋では、ファンシーと同じ形をしたケーキが多数、販売されている。

2000年には沖縄サミットにちなんで発行された2000円札の話題性にあやかり、アタッシュケース型の箱に入った「2000円札ケーキ」を発売。

和菓子屋だった父の時代よりの関係で、高松宮家の葉山御用邸が新築された際、昭和天皇ご夫妻のダイヤモンド婚式の引き菓子を製作。

2002年、還暦と同時に後進に譲る。株式会社銀座・トマト会長に就任。

1980年1月より、異業種交流会「VAV倶楽部」を主催。各界の著名人が多数ゲストスピーカーとして登場している。